今。もうワールドカップが終わって、半月以上が経とうとしています。
 いろんな記事があり、いろんな情報がわたしの心に届きました。総合して考えるな
ら、本当にわたしにとっても、そして、日本という国にとっても、もしかしたら、ワー
ルドカップは得難い贈り物であったかもしれない、と思います。
 まず、一番、いまも印象に残るのは、外国のさまざまなメディアが、日本のナショナ
ルチームの十二番目の選手、サポーターたちについてとても好意的な見方をしてくれ
た、ということです。
 「ニューズウィーク」の記者が書いてくれた記事は、特に、ちょっと意表を突かれ
て、びっくりしました。彼が日本で一番、感動したのは、日本VSトルコ戦で、日本が負
けた時のことだった、というのです。あの時、スタジアムはしん、と一瞬、無音になっ
た、と言います。日本のサポーターがほとんどを占めたスタジアムです、負けたショッ
クに、一瞬、誰もが黙り込んでしまったのでしょう。でも、それから自然に、拍手が起
こった、と。
 負けた日本のチームの選手たち、泣きじゃくっている選手たちに、日本のサポーター
たちも泣きながらせいいっぱいの暖かい拍手と歓声をあげた。やがて、トルコのチーム
がスタジアムをウィニング・ランを始めると、日本のサポーターたちはそれにも拍手を
送った。その瞬間に、彼は鳥肌が立って、感動して泣いていた、という記事でした。そ
して、こんなふうに思うのは自分だけかと思ったら、他国の記者も涙していたのを見
た、というふうに書いてありました。
 そんなふうに言ってもらえたのは面はゆかったけれど、何故、そんなことで、とも思
いました。だって、それは日本では本当に「普通のこと」です。日本のサポーターが特
に立派なわけではなく、たぶん、いい人も悪い人もその中にはいたと思いますが、それ
は日本人が日常、普通にやっていることで。たぶん、その場にいたら、日本人なら誰で
も、拍手したでしょう。というか……他にどうしていいか、わからなかったでしょう。
でも、それは他の国では、まずありえないことだ、とその記事には書かれていたので
す。
 また、ワールドカップのさまざまな国から来た選手たちのインタビューを読むと、た
いがいの選手たちがそのことを印象的だった、と語っています。日本に敗れて(それも
申し訳ないけれど、あれに関しては審判にちょっと助けられての勝利だったですね、あ
れは)、祖国で暴動まで起こってしまったロシアの選手まで、サポーターに罵倒される
ことがない、みんなに愛されている日本チームを羨ましい、と言っていたのにはびっく
り。よほど、負けると他の国ではみんな、祖国で罵倒されるのが当たり前なんだなぁ…
…。
 他国のチームにエールを送るのも、どうやら、とても珍しいことらしい。ベッカムに
走った、日本のミーハーな女性たちのことも話題になったし、それを批判的に捕らえる
見方も日本国内にはあったけれど、あの皮肉屋のイングランドの人たちまで、でも、そ
のことでフレンドリィにワールドカップが行われたことには、新鮮な驚きを感じて下さ
ったようです。
 逆に、韓国が四強まで行ってしまったせいもあるでしょうけれど……日本人サポータ
ーの「勝つ気のなさ」は日本のマスコミには批判されていましたし、もっと韓国のよう
に一体になって日本を応援すべき、などという論調まで出てきました。それはそれでわ
からないこともないのです。だって、スポーツというのは確かに、勝つことがすべて、
なのかもしれないから。特に、その悔しい気持ちは、サッカーを実際にやっている人に
とっては、格別なのかもしれない。
 わたしのようなファンが、ロシアで暴動が起こったのを見た途端、「それぐらいなら
日本が勝たなくても」なんて考えているのは、一生懸命、サッカーで「勝とう」と、そ
れも、他ならぬ日本と日本人のという看板を背負って、勝とうと死に物狂いで日夜努力
してきてくれた人たちの心を思うと、申し訳ないことです。それでも──敗者に、心を
動かされてしまうのは、たぶん、日本人という「心」の形にとってはやっぱり大切なも
のなんじゃないかなぁ、とどうしてもわたしは思ってしまうのですよね。
 わたしにとって、今回のワールドカップで、日本のナショナルチームの健闘以外で、
もっとも印象的だったのは、決勝戦のゴールキーパーであるカーンの姿でした。ブラジ
ルの優勝は、もちろん、素晴らしいものでした。日本には日系移民の縁でブラジルから
来ている在日の方々が多いし、そういう意味でも、この日本でブラジルが優勝した、と
いうのはとても喜ばしいことだったと思います。鹿島のジーコ監督の縁もあるし、Jリ
ーグで活躍してくれているブラジル人の一流選手も多いですしね。
 でも……ドイツチームのカーンの、負けて、ゴールポストに佇んでいたあの姿はとて
も感動しました。それもまた、カーンにとっては、別に「普通のこと」であり、感動さ
れても戸惑うようなことだったと思います。なにしろ……負けたのですし。
 それでも、懸命に戦って、でも、自分のミスからの敗北に打ちのめされて雨に打た
れ、立てなくなったカーンの姿に、わたしだけでなく、深い感動を受けた人は、日本人
には多いと思います。その姿を見て、「所詮、敗者……」と思わないのが、わたしたち
日本人なんだなぁ、そう思います。だからこそ、自国のチームが敗れても、「よくやっ
てくれた、ありがとう」──そう心から言える。
 もちろん、勝って欲しくないわけじゃないんです。やっぱり、出来れば勝って欲し
い。それはそう思います。負けて嬉しいはずがない。特にふがいない負け方はやっぱり
とてもイヤです。でも、それがふがいないものでなければ……たぶん、勝つよりも、互
いに健闘を称え合うドローというのは、本当は日本人の心情に一番、合っているのか
も。
 今回、決勝トーナメント後半の、韓国の快進撃では、こうした、「勝ち負け」に関す
る態度の違いから、隣りの国と日本との、メンタリティの正反対さが、すごく如実に現
れたかなぁ、と感じます。でも、それは当たり前といえば当たり前──顔と姿が似てい
ても、日本と韓国は同じ国ではない、まったく違う国です。韓国が、北朝鮮という、も
とはひとつの国だった仲間であるはずの国とこの五十年間、ずっと戦時下にあり続けて
いる国だ、という事情も、日本人は理解していないといけないでしょう。条件が同じ国
ではない、まったく違う事情を抱え続けてきた国なのです。
 民族性からも、韓国の人たちは、敗者に対する日本人のこうした感情はまったく理解
しないでしょうし、大体において、日本人のこの敗者に対する態度は世界的に見て、も
のすごくマイノリティな感情なのだと自覚すべきだと思います。理解されないで当たり
前かもしれません。
 韓国という国にとってのワールドカップは、日本とは見事なまでに違う方向性があっ
て、確かにこの共催は、たぶん、韓国にとっては競催だったのだなぁ、というのを感じ
ましたし、共催というよりは、分催だったんじゃないかな、と思います。
 でも、たぶん、いろんな意味でまぁ助け合えたし、日本人が、韓国という国を、いい
意味でも悪い意味でもより近くから、その表情までをまざまざと見た大会であったか
な、と感じます。少なくとも、ワールドカップ以後、日本人の中に韓国に対する理解と
関心はずっと増えたように感じます……そのすべてが良い方向でもなかったかもしれま
せんが。でも、いままで見えなかった、本や雑誌や新聞で読んでもわからなかった、さ
まざまなことがわかりました。それは確かなことです。
 その上で。その理解した国民性と矛盾しない形で、今、わたしは韓国の人たち、朝鮮
半島の人たちは情が深い、直情型の正直な人たちなんだろうなぁ、と感じます。あまり
にも、「勝つ」ということに対するメンタリティが違うので、正直の話、最初は戸惑い
ました。今は、なるほど、これほど違うのね、とある程度、理解できてきたように感じ
ます。
 そして、あの「勝つ」ことへの執念は、たぶん、日本の「勝ちたい」サッカーファン
には欲しいものなのかもしれないなぁ、と感じました。実際、日本の名だたるサッカー
解説者の記事には幾つもそういう記述がありました。韓国が羨ましい、韓国を見習っ
て、もっと日本のサポーターは国全体で日本のナショナルチームを盛り立ててくれた
ら、と。
 でも、それはちょっと待って、と、わたしは思いました。少なくともわたしは、気持
ちはわかるけれど、それには違和感を感じました。
 それは、日本という「国」の形ではないんじゃないかな? 敗者に深く感情移入して
しまう、負けても「よくやったね、ありがとう」と言うことが自然である日本人に、韓
国のような応援は、韓国のような執念は、本当に必要なものなのでしょうか?
 わたしは、いまでも、日本のナショナルチームに、それほどまで「勝つ」ことだけを
望みたいとは思いません。もちろん、勝って欲しい。勝てればいいな、と思う。けれ
ど、勝つ、ということは、また、相手を負かす、ということでもあります。わたしは、
日本チームに良い試合をして欲しい。ふがいない負け方はしないで欲しい、と思いま
す。その上で、勝ってくれれば一番、嬉しいですけれど、「勝つ」ことだけを目指して
は欲しくない。
 まず、本当に嬉しいのは、良い試合をできるチームにはなって欲しい、ということで
す。 できれば、潔くて強い戦いをするサムライのチームになって欲しい。今回のワー
ルドカップで、実は一番、好ましい印象をわたしに残してくれたのは、トルコチームで
す。同じ小説家でわたしよりも大のサッカー好きである柴田よしきさんと電話で夢中で
話していた時に語り合ったものだけれど、トルコチームのようにスピードがある、パス
回しと戦術が上手いきれいなサッカーをするチームに日本のナショナルチームがなって
くれたら、理想だね、と。いつか、日本のチームがあんなふうなチームになってくれた
ら嬉しいね、と。そして、そのチームの十二番目の選手として、いつまでも敗者にも、
そして自分たちを負かした勝者にも拍手を忘れない、今回のワールドカップの日本のサ
ポーターが付いていく。それが日本という国の形を持つチームにとっては理想の、ベス
トの形ではないでしょうか。

 今回、いろんな話を聞いた中で、一番、感動した話に、デンマークチームのトマソン
選手の話がありました。デンマークチームというのは、和歌山県でキャンプを張ったそ
うですが、練習はすべて公開し、地元の人との交流にとても熱心だったそうです。そし
て、トマソン選手は、彼のところに訪れた耳が聞こえない少年に、「必ずぼくはゴール
します、そのゴールはきみのためのものです、だから、きみはぼくがゴールをしたら、
それを糧に必ず自分の試練を乗り越えて頑張って下さい」と励ました、という話が聞こ
えてきました。トマソン選手のお姉さんも、実は耳が聞こえない障害を持っていると
か。そして、彼は見事にその少年のためのゴールを今大会で決めた、といいます。……
単純に言えば美談でしょうけれど、たぶん、こうしたエピソードがなにげなく出てくる
のは、また、デンマークという国の形からなんじゃないかな、と思います。デンマーク
チームの人たちは、別に美談を狙ったのではなく、彼らの国においては「当たり前のこ
と」を当たり前にして、帰っていったんだと思います。
 おそらく、デンマークの国にも、負けて帰ってきたナショナルチームに罵声を浴びせ
る人はいないんじゃないかな、と思います。デンマークチームだって、勝ちたかったで
しょうし、優勝だってしたかったでしょう。でも、勝つことがすべて、とは考えていな
いでしょう。そういう国だってあるのです。そして、世界は広く……いろんな国があっ
て、いろんな考え方があります。その中に、日本、という国もあります。
 スポーツにおいては、勝つことはもちろん、意味あることです。でも、勝つことだけ
が意味あることである必要もないでしょう。
 今、わたしはフランス大会の時、友達のサッカーファンが言った「日本のチームには
『国』がない」という言葉の意味はしみじみと考えています。もしかしたら、その友達
の言っていたのとは違う意味になってしまったかもしれないけれど、今、わたしはしみ
じみとその言葉のことを考えて、こう感じています。
 確かに。日本のナショナルチームには、日本の『国』の形があって欲しい、と。
 それは、日本人が日本人らしく、自然に誇れるチームであって欲しい、という意味で
す。
 今回のワールドカップでの日本のナショナルチームは、十二番目の選手であるサポー
ターたちを含めて、とてもわたしには誇らしいものでした。
 わたしは前に、日本人には誇りがない、という言説に悩んでいたことがあったのだけ
れど、本当に誇りなんて、こんな身近なところにあったんですね。
 この形でいいんじゃないかな、と思います。
 そして、できれば、この形のまま……日本のナショナルチームには、強くなっていっ
て欲しいな、と感じます。

 韓国のナショナルチームは、韓国の人たちに愛されている、とても韓国らしいチーム
でしょう。彼らは彼らで、ますます強くなっていくのでしょうねぇ。そして、その強い
チームはやはり韓国のチームであって、わたしは日本のチームがああいうふうな「形」
のチームであって欲しい、とは微塵も感じないのです。
 誤審問題については、あえて何も言いません。わたしは、日本人のサッカーファンで
すから、もちろん、イタリアチームが大好きです。セリエAは世界でもっともサッカー
の発展に寄与してくれているリーグだろうと思いますし、彼らアズーリ(=イタリアナ
ショナルチームの選手たちの愛称)たちのサッカーは世界でももっとも見応えがあるも
のとしてリスペクトしています。ビエリの姿があまりにも早く決勝トーナメントから消
えてしまったことには落ち込みました。だから、あの誤審問題には憤っています。です
が、誤審問題が起きたのは、本当のところ、韓国のチームの選手たちにとってこそ、も
っとも迷惑なことであったと思います。日本のトルコ戦の時のように、もっとも信頼が
おける審判のコッリーナさん(彼はイタリア人だから、イタリアがでる試合にはでれま
せんが)だったら、アジアで最強である韓国チームの強さと勝利はより世界中に評価さ
れていたでしょうに。だから、誤審問題については、日本よりも韓国が気にするべき問
題であって、日本人が騒ぐことではないように今は感じています。韓国には、FIFAの副
会長という強い実力者がいます。そのことについて改善できるタレントがいるわけで
す。彼の手腕をお手並み拝見、と見守ることにしましょう。
 むしろ、わたしは韓国の人たちの応援のしかたに、日本人のメンタリティとの差異を
見出し、勝って喜ぶ、相手が負けて喜ぶ、その喜び方に、韓国の人たちの、いままで見
たことがなかった一面を見ることができて、それが何よりもカルチャーショックだっ
た、と感じています。ですが、それは見ることができて幸いであった一面でした。
 そして、見なければならなかった隣人の顔だったなぁ、と感じます。
 そこからたぶん──何かが始まるんでしょう。道は長いかもしれないけれど、日本も
韓国もたぶん同じくらい世界に対して無知であり、無邪気であり、閉鎖的なので、一歩
一歩、ここから出ていかなければならない。そういう意味でも、ワールドカップは貴重
な世界への窓でした。
 サッカーって、ワールドカップって、だから面白い。やはり、そう思います。
 これから、ジーコジャパンが次のドイツ大会に向けて出帆します。その船出を見守り
つつ、四年後のドイツのワールドカップは、今度はちょっとばかし行ってみようかし
ら、とも。
 そこで、もしかしたら、あの強い韓国チームに気迫負けして負けてしまう日本チーム
を見ることになったとしても、別にそれも構いません。でも、もし、そういうことにな
ったら、わたしは勝った韓国チームにも心から応援の拍手ができる日本人サポーターた
ちがそこにいて欲しいな、と切に願います。戦後の日本に育ったわたしたちが、いまま
で、自然にやってきたように。偏見、差別と憎悪は、何も生みません。どの国にも、ど
の民族にも、いい人もいれば、悪い人もいます。それをすべてひとくくりにして考え
て、誰かを、何かを敵視し、攻撃すれば、それで傷つくのはいつも弱い人たちです。前
の戦争で焼け野原から日本という国が学んだことを思い出してください。そして、負け
て悔しかったら、その悔しさをばねにして、もっと頑張ろう、次は勝とう、と思ってく
れる日本のナショナルチームがいてくれれば嬉しいな、と思います。
 それが、この国の形であり、日本人の意地であって欲しい、誇りであって欲しいと。
 まぁ、こんなことを言うとまた、お前は「勝つ気がないのか」と、日本のサポーター
の皆さんや日本のサッカーを勝てるサッカーにしたい方々からまた怒られそうですけれ
ど。でも……当分、日本チームには、あまり韓国チームに勝って欲しくないなぁ、とこ
っそり思っていたりします。サッカーを心から楽しみたいので。いえ、でも、もちろ
ん、やるからには一生懸命戦って、そして勝てる時には勝ってください。韓国チーム、
本当に強いようですけれど、日本チームだって今のチームはたぶん、強いんじゃないか
と思うし。こんなふうな心情を、ちょっと後ろめたく思いつつ……本当にごめんなさ
い、ジーコ監督。それに頑張ってくれている日本の青の戦士たち。でも、応援している
のも本当なんです。
 本当に……今度の若いきみたちの活躍は嬉しかったんです。トルシェ監督にも感謝…
…ありがとうございました。
 今度のワールドカップを見た後で、Jリーグの試合を見たら、嬉しい驚きがありまし
た。いえ、パス回しはずいぶん早くなったなぁ、と感じてはいたのですが、本当にレベ
ルアップしていますね、日本のJリーガーたちは。世界のレベルに遜色ない……とまで
言うと褒めすぎですが、少なくとも、確かに格段の進歩がありますね。あとは、スター
になるような個性的なストライカーがもう少し、欲しいなぁ。リバウドやビエリのよう
な。……贅沢ですか。いえ、もうすぐ出てくるでしょう。今回、惜しくもワールドカッ
プででることが敵わなかった高原選手のような人も出てきているのですから。ベルギー
に移籍していった鈴木選手も、今、ちょっとお気に入り。彼が才能をブレイクさせてく
れるといいな。

 いつか、ワールドカップで優勝して下さい。
 また、日本のチームにはいつかそこまで行ける力がある、と、今、心の底からわたし
は信じています。
 そして、もしそこまで行き着ける時があったとしたら。その時、日本は、日本のサッ
カーが強くなるために、世界中のいろんな国のサッカーの先駆者たちが手を引っ張って
くれての勝利だったことを、世界に対してさまざまな恩があることを忘れてないで、そ
の勝利を噛み締めることができる国であって欲しいと思います。
 わたしは、サッカーの専門家ではないので、いろいろと妄言ご容赦。でも、どうして
もちょっとこのことは書いておきたくなりました。