●『千の夜の還る処』について

富士見書房のOさんから、今度、ファンタジー・エッセンシャルというハードカバー企画を計画しているので、少し、硬派のファンタジーを書いてみないか、という話をいただいた時に、どうしても書きたい、と以前から思っていたこの物語のシノプスを出しました。
正直に言います。わたしは、いわゆる“キャラクターストーリー”ではないファンタジー、世界観主体の、ファンタジー本来の面白さを前面に出したファンタジー、というジャンルが、決してメジャーなものにはなりえない宿命のようなものはいつも感じています。
ファンタジー、とは、精神世界ととても密着に関係した分野の小説です。本当に“深い”ファンタジー、というのは、こういう言い方するのは躊躇いがありますが、小説、という文化の中で、何よりも文学らしい“文学”でしょう。今、ファンタジー、というのは、とてもお手軽な、売れる分野と誤解されている節があります。それも確かにひとつのファンタジーの一面ではありますが……だっておそらく、人というものが生まれて最初に接する“物語”の多くは、お伽噺であり、ファンタジーでしょうから。
けれど、エンターティメントの方向を削り取っていくと、ファンタジー、というものはもっとも文学の中でも書くのが難しい分野に入っていってしまう──だから、そういうものを「書こう」とすれば、ある程度の覚悟が必要です。世俗的なものと離れていけば、作品は読み手を選んでしまう。つまり……あまり多くの読者に受け入れられないものになりがちになってしまいます。
どうしよう、とも思ったのです。.Oさんは、わたしの作品をファンタジー・エッセンシャルの第一弾に、とおっしゃって下さっている。わたしの他には五代ゆうさんの作品も、というし──最初でつまづいたら、つまり、わたしの本が「売れなかった」ら、次が続かないかもしれない。硬派なファンタジーといっても、キャラクター色を濃くすることだってできるし、いろいろと考えれば、ある程度のセールスを見込める話にできないこともないかもしれない。でも……わたしも、どうせなら書きたい。せっかくの機会なのだから、書いてみたい。女帝・由摩の物語は、本当にずっと書きたい、と思っていた作品です。でも、こういう作品は、おそらく、キャラクター主体の、ある程度の売り上げが見込めない作品は振り捨てられていく文庫の市場では、ちょっと企画自体が通りにくいことがわかっていましたし。そうしたら、この由摩の話を書くチャンスは、最初で最後かもしれない。
結局。書きたい気持ちのほうが勝ちました。
由摩、の話の原型は、わたしがまだ中学生くらいの時に生まれていました。ある時、高熱を出して二日ほど意識が朦朧となっていた時に見た、とてもリアルな夢が、物語の源でした。そのリアルの夢の中で、わたしは山の中で暮らすひとりの別の女の子になっていました。それが由摩でした。
最初、わたしはこの話をなんと漫画で描きました。高校生の時のことです。今もその原稿は残っています。けれど、あえなく、なんと三枚を描いたところで挫折(笑)。画力が決定的に足りませんでした、あの世界を作画するには。まぁ、これは青春の思い出です(笑)。
最初に書いたのは、二十代の時、ファンタジーサークル“ローラリアス”の会誌『ローラリアス六号』において、でした。『夢の邂逅』という短編を書きました。これは『千の夜の還る処』のSECT・4“啓示の箱”の元になっている短編です。
後にプロ作家になってから、雑誌“SFアドベンチャー”1991年四月号(137号)で短編の仕事をいただいた時に、『箱の中の、小さな終末』というタイトルで改稿して発表しています。それと平行して、当時、“ローラリアス”のお絵描き仲間が集まって作った、“剣魔界”という漫画同人サークルでも、わたしは『セオンの死』という作品を漫画で描きました。これも由摩の世界の物語です。でも、やはり画力があまりに足りなくて挫折。あまり見て欲しくないかも、あれは(笑)。ならここにも書くなってば(笑)。
この由摩の世界観の中で書いた話は。もうひとつ、ありました。『ク・ムーンの裔』という短編。これは、やはり二十代の頃、友人だってNさんが主宰していたファンタジーファンジンの『Dragon Dream』というのがあって、それに書いてみない、と言われて、途中まで書きかけていて、結局、仕上げることができなかった作品です。これは、カドカワノベルズから『ファンタジー王国II』というファンタジー・アンソロジー集で短編を、という話になった時に当時の原稿をひっくり返して、書き上げました。
その時のあとがきにも、“いつか由摩という少女の話を書くので、できれば覚えていてね”と書きました。
書いている間も書き終わった後も、ゲラを直している時もずっと苦しくて不安で吐き気がしましたそれというのも、この話はあまりに昔から構想を練りすぎていた話なので、自分の中で変えられる部分がもう少ないんですよね。ですから、同じ場所をずーっ、となぞるような作業が続き、その試行錯誤の間中、これでいいんだろうか、と思うという……。第一稿は自分でもわかったけれど、わたしにしかわからない話になっていました。でも、それをどうすればいいのかわからなくて、とりあえずこの形で編集のOさんにお渡しして、いろいろと指摘していただいてようやく糸口が見えて。最後には、この形で世に出るのも、この作品の運命なんだろうとようやく決意して、本の形へと。でも、本になった時には、嬉しくて涙が出ました。表紙を描いた下さったのは末弥純さん──そして、その表紙の絵を見た時、末弥さんの愛情を感じました。
……わたしと末弥さんは、古い友達です、そう、最初にわたしがこの物語を同人誌で書いていた頃からの──彼は“剣魔界”からのわたしのファンタジー仲間です。原画展の時に、この絵の原画を見せていただきましたけれど、原画は印刷されたものよりもさらに素晴らしかったです。末弥さんがわたしのこの話への想いを理解してくれたのが、あの本の表紙からわかりました。ともかく、書いた。ともかく、書けた。書きたかった話を。
それが、『千の夜の還る処』です。わたしが望む通りの姿で、書きたいものを書かせて下さって、出版してもらえた──本当に嬉しかったし、富士見書房には感謝しています。
本が出た後……実を言うと、少し、辛かったです。ともかく、あの作品に関しては、感想、というものがほとんど聞くことができなかったので。何通かはお便りをいただいたのですが、「正直のところ、全然、話がわかりませんでした」という感想も送られてきました。ある程度は予想できたことでしたし、従来、わたしが書いてきたものとは違いますから、それはそれでわかるし、むしろ、違うものを期待して本を買ってくれた方にはすまないな、とすら思いました。書き終わった時から、この話は読む人を選ぶだろう、と覚悟していましたし。ただ、選ぶにしても、誰かが読んでくれたのだろうか、と思いました。それと、最初の不安──せっかく、ファンタジー・エッセンシャルという、ハイ・ファンタジーのハードカバーの企画を、最初の一冊でわたしはつまずかせてしまったのだろうか、という恐怖です。
でも、もう書き終わってしまっているものですし、書きたかったのですから、それを今更、後悔しても始まりません。
『幻想小説』という雑誌の中で、評論家の石堂藍さんが好意的な評価を下さっているのを読んだ時には、気が付くと三度もむさぼるように読み返していた自分が恥ずかしくて……顔を赤くして、本を閉じました。その時に、それほどわたしは不安だったんだ、と気が付きました。あの時ほどに、評価して下さる方がいることをありがたい、と思ったことはありません。最近、Oさんに伺ったところ、増刷までは至らなかったものの、売り切りの形としてなら、決して数的にも悪くはない、という結果も出て、その後、五代ゆうさんの大作『〈骨牌使い〉の鏡』が第二弾として出たし、ファンタジー・エッセンシャルもシリーズとして続けるようです。
でも、今でも、よくわからないところもあります──本当のところ、あの時、あれ以上のものを書けなかったのか、とか……ああした作品を喜んで下さる読者はどのくらいいらしたのだろうとか──そんなふうなこと。でも、わたしはこうした作品も書きたいのです。
かつて十代の頃に書いていたものには、ただ、主人公の少女が地下室から通路を通って秘密の部屋まで行くまでに、大学ノートに二十頁もぎっしりとただ延々と描写だけが続くような話もありました。その話も、今もわたしが書きたい話のひとつです。うーん、書ける日が来るのかなぁ。読みたい人、います? わたしが書きたいのはいいけれど、読みたい人がいてくれないと発表することはできない。
ああ、でも、もちろん自分ひとりで書いていてもいいのだけれど。生きることさえできれば。昔からもともと自分のためにひとりで書いてきましたし。
ホジスンの『ナイトランド』、三島由紀夫の『豊穣の海』、ウォルター・ミラーの『黙伝録三千百七十四年』、マルシア・ガルケスの『百年の孤独』……そうした作品に勝てないまでもしがみつけるくらいの作品を、いつか書きたい。とりあえずも、『マビノーギオン』とアーサー王伝説を翻案した作品『アヴァロンの鷹』を書きたい。これはもう何年もの懸案なのですが、思い入れが強すぎて臆病になってしまって、まだ書けない。『マビノーギオン』のほうがどうもうまく行けば先に実現できそうなのですが……
ああ、本当に書けるかしら。書けば、出版していただける約束になっています。本当は、『アヴァロンの鷹』も書けば出していただける、という話になっていたのに──だめだなぁ、わたし。ああ高宮俊行先生、すみません、書くとお約束してもう何年になるか……高宮先生は、日本でのアーサー王文学研究の権威の方です。でも、こればかりは妥協できないんです。
そんなにそういうものを書きたければ、他の作品を書くのをやめればいい、という声も聞こえてきそう。でも、わたしの気持ちとしてそれができていれば、とっくにやっているでしょうね。つまりは、そうじゃなくて、いままで書いてきた話も、わたしの書きたい話です。どちらも読んで欲しい。でも、人生の時間は有限。わたしがふたりいればいいのに。

『マビノーギオン』には、まもなくとりかかります。