「で、シリーンさま、ここはどこなんでしょうか? もしかして、まずくありません?」 ラクシアは、いつもの、しれっ、とした顔で尋ねてくる。 (んが〜〜〜〜っ!) 涙目で、思わず、シリーンはラクシアを見返してしまった。 そんなシリーンの大きな瞳の金色の瞳はうるうると潤んでいて、青い長い睫毛を濡らしているのが、とてもとってもステキである。──思わず、あら、きれい、とかラクシアは思ってしまっていた。もちろん、事態はもっと緊迫しているのはわかっていたが、何事においても‘慌てる’というのは性格上、苦手なのが、このボザーン公家のお姫さまの特徴でもあった。 銀色の光沢のある髪に薄灰色の眸、顔立ちもさほど悪い、というわけでもないのだが、ラクシアはその愛想のない性格と、お世辞にも女性的とは言い難い痩せっぽっちの体型のせいで、女の子としてあまり魅力的とは言い難いタイプ少女と言える。 けれど、シリーンは、そのそっけなくて女を感じさせないラクシアの性格を気に入っていて、彼女とはまるで男の子同士のような友達関係を結ぶようになっていた。 シリーンは、そのちょっとばかし目立ちすぎの容貌のせいか、同性の友達はとっても少ない。だから、ラクシアは、シリーンにとっては得難い友達のひとりなのである。 ──なのだが。 こういう事態に陥ると、なんとなく、いつもながらおれって、人生の選択を間違えているのかなぁ、とか思ってしまうシリーンだった。 事の起こりは、ラクシアが、‘魔界のほとり’に行ってみたい、と言い出したことにある。 ウィラ山脈の山中には、何カ所か、魔法の力が偏って存在している、異常な‘場’がある。 その場所には、この世ならざる魔界の魔物どもがいて、人々に恐れられている。そこは、魔力に対して何の備えも持っていない普通の人間は、足を踏み入れることのできない領域である。 禁じられているわけではない──ただ足を踏み入れれば、間違いなく命を落とすから、誰もあえて足を踏み入れようとしない、というだけのことだ。 ある日のこと。 今はムアール帝国を治めるオカレスク皇家の世継ぎの皇女となっている、妹のアリエラの許に、魔道士ギルドからの使者としてシリーンが訪れた時、アリエラと一緒にいたのがボザーン公家の公女でもあるラクシアであった。 『ねぇ、シリーンさまは、‘魔界のほとり’に行ったことはありまして?』 彼女がそうささやきかけてきたのが、今回のちょっとした災難の始まりだった。 『行ったことないけれど……なんで?』 シリーンはなにげなく、ほんとに何も考えずに、なにげなく応じた。 『いえ。──面白そうな場所じゃないですか、‘魔界のほとり’って。 で、シリーンさまなら、そういった場所でも行けるのかなって思って』 ──こういう時のラクシアが悪魔のように口が上手いのは承知しているつもりだった。つもりだったのだが、気が付くと、なんとなく、シリーンも‘魔界のほとり’に行きたいような気がしてきていて……ラクシアを連れて‘ちょっとだけ’覗きに行くのも悪くないな、と思ってしまったのだ。 で。今の状況はというと。 白い雪原の上を、骸骨から青い炎を立ち上らせた亡霊の騎士たちが見える。 ラクシアとシリーンのふたりを、この洞窟に追い込んだ連中だ。 シリーンが、魔法で必死でそいつらをバラバラに吹き飛ばしたのだが、骸骨の騎士たちは、倒しても倒しても、体を復元して追ってくる。その怨念の凄まじさにはぞっとした。 で、追い込まれたこの洞窟の中には、赤い炎を吹き出す小竜がいて、そいつはさっき、ようやくやっつけたところだ。 ぎらぎらした熱のある爬虫類の肌を晒した、全長がシリーンやラクシアの身長ほどはゆうにある、竜にしては小さな竜は、溶岩のような血を流し、ふたりの足下でぴくぴくと蠢いている。完全に死んではいないかもしれない──目はまだ瞬いていて、シリーンたちを睨んでいる。 外の雪原の亡霊たちは、この洞窟には近づいてこないが、遠巻きにこちらをじっと見ていて、解散してくれそうにないからには──ふたりはこの洞窟の先に活路をみいださなければならない。 けれど、一体、この洞窟の先はどういうことになっているのか、見当がつかない。 ……というか。 入り口に、こんな小さな竜がいたことからして、もしかしてこの奥にはもっと大きな炎竜たちがいるのでは、という予想はつくのだが。 実際、なにやら奥のほうからは、不気味な咆哮は聞こえてきている。 (ずっと前、ユーリックは、‘魔界のほとり’に入って、それでジーラ母さまとエフェ母さまと一緒に生き延びて、それで、ダルーフォン婆で出会ったんだって、そう言っていたよなぁ?) シリーンは、以前、ユーリックから聞かされた若い頃の冒険譚の話を思い出していた。 ユーリックが、魔法の力が弱かった昔のエフェラ母さまとふたりで抜けられたのなら、自分の魔力からしたら、たいした問題もなく抜けられるだろう、とシリーンは甘く見たのだ。 ラクシアにちょっとだけ見物させて、それで、すぐに戻ればいい、と──。 ところが、‘魔界のほとり’に入ってすぐ、シリーンは自分がどこにいるのか、方向を見失っていた。 今も、ここがどこなのか、どうすればここから抜け出せるのかは、全然、わからない。 なのに、ラクシアは無邪気に、「ここはどこですの?」とか聞いてくるのだ。 思わず、わめきたくなったって、ぼくのせいじゃないよね、とシリーンは思う。 いや──いや、もちろん、自分のせいだ、ということは重々わかってはいるのだがぁ。 「ともかく。奥に行こう」 「奥に? あまり、得策とは思えないのですけれど、気のせいでしょうか? これ以上、追いつめられた状況になる前に、どなたかに助けを呼ぶなり何なり、ここを脱出する手段はございませんの?」 「そんな手があったら、とっくに使っているよっ。ぼくだって、こんな洞窟の奥に行きたくはないからねっ!」 シリーンの怒鳴り声に、ラクシアは冷静にうなずいた。 「わかりましたわ、まいりましょう、シリーンさま」 けれど、ラクシアのその冷静な声が引き金になって、シリーンはあることを思い出した。 (……待てよ?) そういえば、と思う。 (前に、ユーリックに、確か、石のペンダントを──) そう。 青い色の、すごく澄んだ色合いの美しい石がついたペンダントを渡されたことがある。 エフェラ母さまとユーリックが結婚することになって、シリーンがユーリックの義理の息子になることが決まった時だ。 何かあったら、この石を使え、と。 『これは、ぼくとエフェラの思い出の石なんだ。 ほんとは……捨てようと思ったこともあるんだ。エフェラが死んだと思った時に、サームのある場所に、想いとともに埋めたこともあった。 今は、こうしてエフェラと結ばれたから、もう必要ないのだけれど、捨てるには忍びないから──シリーン、この石に、きみへの‘守り’の想いを込めて、魔法を封じた。 きみがこれを持っていてくれれば、これは必ず、きみの‘守り’の石になる。きみを守って、救ってくれるよ──』 そう言って、手渡したのだ。 (今が、その時じゃないかな?) とりあえず、命の危険がある。 この目一杯の危機に際して、これを使ってもいいかもしれない、と思う。 シリーンは、マントの下から、その青い石のペンダントを取りだした。 |