『Eternal Wave ふたたび』
                           ひかわ玲子

「お姉さま……歌が聞こえてきません?」
 ここは歌の王国ラヴェリア。ラヴェンダー色に霞む花野を横切っている時に、ふと、王国の王女姉妹の妹姫であるファティマは姉姫セピュアを呼び止めた。
 セピュア姫は立ち止まった。
 耳を澄ますと──本当だ、風に乗って、美しい歌声を聞こえてくる。
 ここは歌の王国だから、歌の心はいつもこの国に集まってくる。そのどれもが優れた素晴らしいものだが、よほどに心を惹くものでなければ、この王女姉妹の心にまでは届かない。
「……暁里、かしら?」
 歌声に耳を傾けていたセピュア姫はつぶやいた。
「ええ。でも、もうひとつ声が。たぶん、暁里の兄の翔も一緒に歌っています。デュエットですわ。ステキ、わたし、聴きに行こうかしら」
 ファティマ姫ははしゃいだ声をあげた。セピュア姫もうなずいた。
「歌は、その一瞬だけしか留まらない。あの兄妹がデュエットで歌を歌っているのなら、それを聞き逃す手はありませんね、行きましょう」
 歌の王国の王女たちはそう語り合うと、野をまっすぐに歩き始めた。
 すると──。
 その行く手で、空間は蜃気楼のように歪み──そして、歓声が聞こえてきた。目の前に、ステージが見える。そして、大きなホールに満杯の聴衆が──。

それは新進気鋭の人気バンド・チェリーボーイズの、結成2年目を記念した年末のイベントだった。ファンクラブ限定でチケットは売り出された。武道館をいっぱいに埋めたチェリーボーイズりファンたちは、チェリーボーイズの看板娘、ボーカルの十文字暁里の兄である、二人組のカリスマ的人気ユニットLOVENDERのボーカル、十文字翔のステージへの登場に沸き立っていた。
 発売されたばかりのLOVENDERのアルバム、〈History〉の中に、一曲、暁里がコラボレートをして、翔と一緒にデュエットしているものがあった。だから、どこかでふたりがその曲を歌うのではないか、という噂が流れていた。けれど、チェリボーイズも最近は人気が急上昇中なので、LOVENDERのツァーに暁里がつきあうことはほぼ不可能になっている。
 コラボレートしたのが、LOVENDERのアルバムのほうなので、チェリーボーイズのステージではまずやらないだろう、というファンサイドの予想を裏切り、いきなり、前の曲で尾鷹が現れ、さらに十文字翔が現れたことで、観客席の興奮は頂点に達していた。
(本当に、こうゆう派手なことするの好きだよな、先輩は……)
 翔はステージに立ちつつ、密かに心の中で思っていた。これはチェリーボーイズのステージなのだし、自分たちがしゃしゃり出たくない、と翔は感じていたが、残念ながら、そう思ったのは、翔ひとりのようだった。
チェリーボーイズ側の関係者も、LOVENDERサイドも、誰もが「話題作りにいい」という結論だったし、暁里すらも気にしていない様子だったので、最後には翔も折れた。
「だって、あたしもお兄ちゃまとステージで一緒に一度、歌ってみたいもん」
 暁里に言われて、言われてみると、翔も一度くらいそんなことがあってもいいかも、と思うようになった。
 椅子が用意され、アコースティック・ギターを手に尾鷹が座ると、会場がしん、となった。
 ふたりがデュエットした曲は、バラードだ。
 マイクが中央にふたつ、用意される。そのマイクの前に、ふたりが立つ。
 ……横に立った妹を見て、翔はちょっと照れた。
 いつもながら、暁里のステージ衣装はちょっぴりボーイッシュだ。白いTシャツに、水色の短パン──でも、そこからすらりと長い足が伸びていて、スタイルは抜群だ。舞台化粧もしていて、どこか自分の妹ながら、魔法にでもかかっているように愛らしい。
 イントロの旋律を尾鷹がギターで奏で始めた。美しい、うっとりするような旋律だ。
 その瞬間に、翔は歌の中へと入っていった。
 たぶん、それは暁里も同じだろう。
 ──声が、歌を紡ぐ。
 暁里の、高くてきれいな声が、最初の旋律を歌いあげる。

    わたしが悲しくて泣いていた時
    あなたは言った
    いつか……あなたの心も晴れる
    今は悲しくても、いつかは
    いつか なにもかもわかりあえる

 翔が代わって、歌い出した。

    星へと手を伸ばすと、
    いつしか光はこの手をすり抜ける
    いつか……わたしは手に入れるだろうか
    今は虚しくても、いつかは
    いつか なにもかも願いが叶う

 暁里と翔はステージの上で目を交わし合った。
 兄妹の声は声の質が似ていて、声が自然に重なり合う。

    いつか……それは約束
    今ではない いつか
    遠くはない いつか
    この道を昇り 虹の彼方を見て
    明日かもしれない 遠い日かもしれない
    でも、いつか
    いつか……人々は声を合わせ、平和について語るだろう

 間奏のギターが優しくささやきかけてくる。
 尾鷹のギターの音色は多弁だ。
 その間奏が終わると、ふたりは声を合わせて歌い出した。

    いつか(いつか)
    わかりあえるいつか(願いが叶ういつか)
    わたしは思う 絶望しなくて良かった
    いつか(いつか)
    あなたとともに(わたしとともに)
    すすり泣く声(嘆き悲しむ声)
    諦めずに いつか
    いつか……わたしはあなたを愛し、あなたをみつける
    いつか……わたしは星を掴み、虹の橋を渡る
    いつか(いつか)

 最後に、暁里が細い声で歌う。

    いつか……人々は声を合わせ、平和について語るだろう

 尾鷹のギターがその声に添うように旋律を歌いあげる。
 会場に、ほぉ、とため息のような、深い静寂が訪れた。その後に、聴衆たちの歓声が一斉にあがった。
 ステージの上で、翔が暁里の肩を引き寄せ、抱き締めた。嬉しそうに、暁里は兄の翔を見上げていた。こんな日を夢見ていたことがあったな、と暁里は思った。LOVENDERで歌う兄のように、ファンの声援に励まされ、眩いステージの上で歌いたい、そう思った日があった。そう、いつか──そうなりたいと。
 願えば、叶うだろうか──いつか。
 翔に肩を抱かれ、ステージから聴衆に手を振る暁里の、その表情はきらきらと輝いていた。


「……暁里は、ますます歌姫として声の磨きがかかっていますねぇ」
 聴いていたファティマ姫はうっとりとした顔でつぶやいた。
「ええ、でも、翔も負けてはいないようですね」
 セピュア姫はにこにこと笑いながら、そう歌の感想を述べた。
 そして、そっと言葉を添えた。
「歌に、心が込められていますね。本当に、歌で人の世界が平和になって、誰もが心を通じ合わせることができれば。
 本当にいつか──そう願い、祈りましょう……」

 いつか──
 遠くないいつかに願いを込めて……