Sep,10th サーミの人たちとの交流
疲れてしまったわたしは、朝食の後はしばらく部屋で休むことに。思ったよりも、ずっと刺激的な日々です……ここに来るまで知らなかったけれど、この北欧の国々は亡命者を積極的に受け入れる地としても有名で、資金的な援助なども多く、ペンの中でもかなりの発言権がある、とのこと。ロビーで会った日本語で話しかけてきた黒人青年は、コンゴからの亡命者、とのことでしたが、ここ、ノルウェーに住んでいるそうです。彼がわたしたちに話しかけてきたのは創価学会の信者だったからで、「日本にはいつか行きたいんだ」と笑顔で話していて……、まだ若い人のようだったけれど、コンゴといえば、あの民族浄化の大虐殺の地──いえ、世界には本当にいろいろとあります。日本のペンはボランティア団体なので資金的な裏付けがあまりなく、でも、日本、といえばまず「お金がある」というイメージが先行するので、いろいろと大変みたいです。うーん……たとえば日本の企業にしても、そういう亡命者のライターなどを支援する目的でお金を出すかというと、日本はそういう国ではないだろうな、と思ってしまいます。 この日のランチでは、『ソフィーの世界』の著者として有名なノルウェー人の哲学者ユーステイン・ゴルデル氏のスピーチがあるというので、お昼には部屋から会場に出向いていきました。15分ほどのスピーチで、文化を越えてユニバーサルな文学を作って行こう、という呼び掛けのようなものでしたが、ゴルデル氏は実にエネルギッシュな人物なのはわかりました。 この日、右隣りに座ってらしたのは、このノルウェーに在住の亡命イラン人の女性ライターでした。聞くと、モスリムだ、ということですし、イスラム革命の時に二十歳くらいで国を脱出したとか──でも、最近はイランの状況も良くなったので、時々、国に帰っている、とのことでした。左隣りには、台湾ペンの、大学の教授をしていらっしゃるというお年をめした方がいらして、正面にはアメリカ・ペンの方が──このアメリカ・ペンの方には、神道について教えて欲しい、と言われ、拙い英語で説明しているうちに、ユダヤ系の方だ、ということがわかりました。こんなふうにいろんな国のライターと接することができる、というのは、やはり得難い経験かなぁ、と。 部屋に戻ると、Cさんは、ランチの時間を使ってトロムソ博物館に行ってきた、とのこと──。その日の午後も会議は続くので、ナガーランドの女性が出演する、と聞いた、隣りのSASホテルで開かれるというイベントに代わりに行ってくれないか、と頼まれ、出かけることに。その前に町に出て、最初に日のイベントが開かれた、古いほうの教会に行ったり、トロムソの町の最後の散策を……次の日の早朝にはこの町を出てしまうので。 小さな町です。冷たい雨がずっと降り続けていて、これから、この雨が雪になっていって、長い冬が来るんだろうなぁ、と思いました。 四時頃、頼まれたようにSASホテルに行くのですが、とんでもない間違いが判明──ナガーランドの女性が出演するイベントは、その日の二時から別な場所でやっていて、行ってみた場所では全然、違うイベントをやっていたんです。 ただ、わたしにとっては、その勘違いが幸運を招いてくれました。その時間にやっていたイベントが、とてもステキなイベントだったんです。それは、この地の少数民族サーミの人たちが、子供たちに自分たちの伝統音楽「ヨイク」を教える公開イベントだったんです。 そこには、サーミの女性たちが三、四人集まっていました。サーミの人たちは、ノルウェーの金髪碧眼で背が高い、という人たちとはちょっと違って、小柄だし、顔つきも少し違います。フィンランドの歌手のビョークに似ている、といえばわかるかなぁ……顔立ちが少し平べったく、白人なのですが、東洋人には親近感がある顔立ちをしています。 なんとなく、面白そうなので、わたしは間違いに気付いてもその場にとどまり、イベントを見せてもらうことにしました。すると、先生であるヨイクの歌い手の女性が、ヨイクについて説明を始めてくれました。サーミの文化に対しては、最近はいろいろと政府も保護のための助成金を出してくれるようになっている、とか、そういう現状についても。 時間になると、子供たちを連れた親たちがやってきました。恥ずかしがり屋の女の子を連れたお母さん、元気いっぱいの男の子を連れたお父さん、女の子の姉妹と……総勢で十人くらいかな。 先生である女性が、カウベルみたいな小さな鈴を鳴らして、子供たちを隣りの部屋へと導きます。わたしもついていくと、隣りの部屋は真っ暗で、部屋の中央に、小さな蝋燭をいっぱい灯した銀色のお皿が置いてあって、そこだけが明るい。子供たちも先生やサーミの女性たち、親たちもわたしも、みんな入り口のところで靴を脱いで、その蝋燭の明かりの周囲に集まります。 そこでちょっと驚いたのは、子供たちはぺたん、と床にお尻をつけて座ったのですが、サーミの女性たちは、正座、ないしあぐらをかいて座ったこと。わたし、西洋人の女性が「普通に」正座するのを見たのは初めてです。ここには正座の風習があるんだなぁ……。先生役のヨイクの歌い手の女性は、トナカイの皮のようなものを張ったタムタムみたいな太鼓を抱えていて、闇の中で静かにその太鼓でリズムを刻み、ヨイクの低い、喉を震わしてお腹の奥から出すような声を出し始めました。 子供たちは暗くて蝋燭の光しかない中で、ちょっと落ち着かない様子で座っているのですが、ヨイクの声と太鼓は不思議に心を落ち着けるので、子供たちも大人しくしています。 やがて女性は、ヨイク、について説明し始めます。サーミの女性のひとりがわたしの横で英語でその言葉を小声で翻訳してくれます。ヨイクの歌は、トナカイや鳥や狼の声や姿を擬態したものが基本なのだそうです。ヨイクの歌い手の女性は、おおげさな動作で、手を振り、足を振り、乳房を揺さぶり、お尻を振って、声をあげながら、その様子を実演します。子供たちはそのコミカルな動作に声をあげて笑います。 それから、子供たちに蝋燭を吹き消させ、部屋の灯りをつけてから、レッスンが始まります。 まずは、部屋の中をタムタムのリズムに合わせて好きなように歩き、自分が気に入ったと思う場所をみつけて、そこにぺたんと座り、時に寝ころびます。地面の感触を確かめるように。それを何回か繰り返した後、次にタムタムのリズムが早くなり、狭い部屋の中で子供たちは駆け回り始めます。そして、互いに体をぶつけ合います。お尻とお尻をぶつけたり。小さな女の子のひとりは、東洋人のわたしが珍しいらしくて、何度も近づいてきては逃げていったりしてました。ペンクラブの人が調べたことによると、このトロムソ、という町には日本人の住人はひとりもいなかったそうですから──確かに、ちょっと珍しかったのかも。 それから、ご挨拶の儀式。 サーミの言葉では、「モーマナ」……たぶん、Mo-mana、かな。これが、How do you do、の意味になるそうです。これはノルウェー語ではなくて、サーミ独自の言語です。 そして、「モンリャン」……Mon ryan、が、My Name is、の意味になります。 つまり、Mon Ryan Reiko、と言えば、わたしの名前は玲子です、になるわけですね。 タムタムのリズムで部屋をぐるぐる歩いて、出会った人に、「モーマナ、モン リャン レイコ」と自己紹介をして握手をし、相手も「モーマナ、モンリャン……」と自己紹介をしてくれます。さっきのわたしに近づきたがっていた女の子は、ちゃんと、恥ずかしそうに、「モン リャン アレキサンドラ」と名乗ってくれました。 それから、また、中央に集まり、ヨイクの声の出し方について教わります。 先生は、西洋音楽で使われるような澄んだ高い声を出してみて、それと、ヨイクの、腹の底から出して喉で震わせる、日本の民謡で言ったら「コブシ」の効いた歌う方の説明をします。聞けば聞くほど、日本の北のほうの民謡に似ているなぁ、と思うわたし──。子供たちにも一緒に声を出すように指示し、次第にメロディのある歌声へと移行させていきます。 習ったのは、短い旋律でした。 自然に覚えてしまったけれど、こんな旋律でした。 Boathan, Ya〜Boathan,Mu〜Ru〜Sa〜 (後で知りましたが、これはサーミの言葉で、みんな、さぁみんな、わたしのところにおいでなさい、という意味だそうです。) ええと、これがですね、説明できるかな……、西洋音階で説明すると、4分の4拍子で、 1、|la fa do|fafasofa|la fa |dofa ボアザン ヤ ボアザンム〜 ル〜サ〜 ァ〜 2、|la fa do|fafasofa|fa do |faso ボアザン ヤ ボアザンム〜 ル〜サ〜 ァ〜 こんな感じ。1番の後にに2番が繋がり、2番の後に1番が繋がって、ずっと歌っていく感じです。喉から出す低い声で歌っていただけると、感じが出ると思います。 小休止があり、ちょっと水などで喉を潤した時に、喉から出す声のやり方を個別指導してもらうと、わたしが割合とすぐにその声の出し方に馴染むので、先生にはすごく上手い、と褒められました。その時に、日本の民謡はあなたがたの音楽ととても似ている、と話すと、サーミの音楽は、モンゴルやアジアの音楽とも繋がりがある、という説もある、と話してくれました。 小休止の後に、また、鈴の音に導かれて部屋へと戻り、旋律のおさらいで最後にみんなで声を合わせて歌います。その後、また、部屋を真っ暗にして、銀色のお皿に蝋燭を置いたものを部屋の中央に置いて、蝋燭に火を点けます。 みんなで蝋燭の火を囲んで座ってから、子供たちに蝋燭の火を吹き消させて、儀式は終わり。1時間ちょっとのイベントでしたけれど、すごく興味深かったです。 その日の夜には、トロムソ橋の向こうのモダンな教会のほうで、ペンクラブ主宰のサーミのコンサートがある、と聞いていました。ペンクラブの人は希望者は無料招待されるのですが、彼らもそこに行く、というので、そこでまた会えたら、と約束して、わたしはそのイベントを後にしました。 その日の夜に計画されていたのは、Mari Boine……マリ・ボイネという、アメリカやイギリスでも話題になっている、このノルウェー北部のサーミ出身の世界的アーティストのバンドのコンサートでした。わたしは日本に帰ってくるまで知らなかったのですが、日本の音楽ファンの中でも、特に、プルグレファンを中心に話題になっているアーティストであるようです。 ホテルからはバスが出て、教会へと運んでくれました。わたしはMさんやCさん、Aさんご夫妻などと一緒に教会に向かいました。 教会に着くと、バンドの到着がちょっと遅れて、リハーサルが済んでない、とのことでちょっと待たされ──そこで、先程会ったサーミの人たちに再会、Mさんに紹介したりしたんですが、その後は別れてしまい。三十分ほど待たされた後に、いよいよ開場で教会の中に入りました。 マリ・ボイネのバンド・ライヴは素晴らしいものでした。サーミのトラッド・ミュージックを現代風にアレンジしたような緻密な音楽で、プログレっぽいなぁ、同じ女性作家委員会の委員をしておられるT氏がいたらすごく喜びそうな音楽なのに、と思ったり。バンドの中にいたパーカッションの人はどうも顔立ちも東洋系の人だったのですが、その人が使っていた縦笛は音色からしても、どうにも尺八にしか思えなかったのですが、あれはサーミの伝統楽器なのかなぁ……。(旅から帰って後に、偶然、日本のプレグレ・ロックの第一人者である難波弘之氏から電話があって、このライヴのことを話したら、最近のプログレでは、トラッド・ミュージックと結びついたものが主流なので、やはり、北欧や南米のバンドは注目されているのだということです、なるほど──。)ただ、ペンクラブの大会に集まっていた人たちは圧倒的に高齢の方が多いので……ちょっと観衆は大人しかったかな、という。でも、サーミの伝統衣装を着て集まった土地の人たちも多く、暖かい雰囲気でした。実はわたしはその前にトロムソの町に出た時、CD屋さんで、サーミのアルバムでお奨めのものを教えて、と言って店員さんの奨めるままに買った二枚のうちの一枚は、このマリ・ボイネのアルバムでした。やはり、この地では、マリ・ボイネは誇りとされる世界的アーティスト、なんでしょうね……。 教会から帰って、風邪をひきかけているというMさんにわたしが持っている風邪薬を渡そうと一緒に部屋に戻ってきたら、Cさんが、チベット・ペンのふたりの部屋にいるから来ないか、とのこと。それで、Mさんとともに、彼らの部屋に出向くことに。チベット語のレクチャーなど受けて、しばし、歓談──Gyalさんは、今夜のライヴはとても良かった、あの音楽はチベットの音楽とも似ていて、とても親しみを感じる、と話していたから、たぶん、チベットの音楽には、日本の音楽とも通じるものがあるのかもしれません。でも、わたしは次の日の朝にはトロムソを離れてしまうので、今夜は早く寝ないと、朝、起きられません。そう話すと、何時の飛行機だ、と聞き返してくる彼ら、また明日の朝には会いましょう、と言って別れました。 |