アーサー王宮廷物語について


とにかく、最初のきっかけが、1991年『ユリイカ』五月号(青土社刊)で、慶應義塾大学の教授でアーサー王研究の日本における第一人者である高宮利行先生と、その後、わたしの『三剣物語』のイメージアルバムを作ってくださったミュージシャン葛生千夏さんと、三人で語り合った「蘇るアーサー王」というテーマの鼎談にあったことは間違いがありません。(この鼎談は、後に、高宮利行先生が出版された『アーサー王物語の魅力 ケルトから漱石へ』(秀文インターナショナル刊)の中に再録されています。ああ、もう十五年も前なのですね、本当に。)
 その時に、高宮先生に、日本人が書いたアーサー王伝説を扱った作品は、夏目漱石のものしかない、アーサー王伝説をそんなに好きならば書いてみれば、と示唆を受け、そういえばわたしは「書きたいかもしれない」、と思ったのです。
 そして、すぐにアイディアとして生まれたのが、アーサー王宮廷に伺候する、双子の兄妹、メイウェルとフリンの物語でした。
 わたしの、アーサー王伝説への耽溺は、我が家にあった筑摩書房の、世界文学全集の「中世文学集」に収録されていた、廓川文夫氏・廓川圭子氏による、サー・マロリーの『アーサー王の死』の抄訳を読んだ時から始まります。その時、わたしは、まだトールキンの『指輪物語』を読んでいませんでしたから、わたしの中の歴史としては、『指輪物語』以前に、この『アーサー王の死』があったことになります。先日、高宮先生の講演会で、わたしは、高宮先生が、この廓川先生に教えを受けた直弟子であられるのを知りました。考えてみれは当たり前のことだったのですが……わたしは、廓川先生、高宮先生、と二代に亘る先生に、とても大きな力をいただいたことになります。それを思うと、感慨深いです。
 この『アーサー王の死』を読む前に、少年少女文学全集といったものの中にあった、アーサー王物語を読んだことがありました。でも、その時は、何とも思いませんでした。その中には、アーサー王伝説の中のインモラルな要素はすべて省かれていて、子供向けに、キリスト教の教条的な騎士物語が描かれていただけで、簡単に最後のアーサー王の死の経緯も書かれていた覚えがありますが、正直、よくわからない展開だな、と思っただけで感銘も受けませんでした。でも、世界文学全集の中にあった『アーサー王の死』は、最初からして、アーサー王の誕生のあまりにも血なまぐさく、そして、人間的な事情の描写が出てきます。まるで本当の歴史絵巻のように。そのあたりが、今回、『キャメロットの鷹』でわたしが描いたような人間模様なのですが……たちまちにわたしはこの世界に引き込まれました。
 『キャメロットの鷹』から始まるこの、〈アーサー王宮廷物語〉の最初に、アーサー王がどのようにして生まれたかを示す家系図が出てきます。これもまた、わたしの心を擽りました。『アーサー王の死』のすぐ後に、わたしは『ローランの歌』という、シャルルマーニュ伝説に基づいた叙事詩も読んでいるのですが、アーサー王伝説が『ローランの歌』よりも遙かにわたしの心を捕らえた一番のポイントは、あの、家系図だったかもしれません。
 その後、わたしはJ・R・R・トールキンの『指輪物語』に出会い、ファンタジーへの傾斜を強めていきました。二十代、わたしは〈ローラリアス〉というファンタジー・サークルで活動していましたが、その時にも、アーサー王伝説と、そして、アーサー王伝説に関連するウェールズ神話のマビノギオンについてのレジメを書き散らしていたりしました。わたしの中で、アーサー王伝説とマビノギオンは、今も、もっとも心を占める神話的物語なのです。
 二十代の半ばに、最初にイングランドに行き、その時にどうしても行かずにはおれなかったのも、アーサー王伝説に最初に登場する地──コーンウォルのティンタジェル城址でした。その時のレポートが、このサイトにありますので、ご興味がある方はご覧ください。
 それほどに思い入れが深かったアーサー王伝説でしたから、示唆を与えられると、わたしの心は、すぐさま、アーサー王伝説をわたしの手の小説化する、という考えに取り憑かれました。
 幸いにも、その企画は、すぐに受け手となる出版社が現れてくださいました。なんと、あのわたしが最初に『アーサー王の死』を読んだ筑摩書房です。願ってもないことでした。わたしはすっかり書く気になりました。ストーリーも頭の中にすっかり出来上がりました。わたしの古いファンの方なら、わたしが、徳間ノベルズで書いていた〈銀色のシャヌーン〉シリーズの、『ファンディットの恋歌』のあとがきで、そのことを書いていたことを思い出してくださるでしょう。そう、その頃から、この物語の構想はありました。
 わたしが〈クリセニアン年代記〉の三巻目を書いている頃、わたしは忙しい合間を縫って、イギリスへと取材に行っていました。それも、この作品のためです。わたしは、もう一度、コーンウォルに行き、ゆっくりとティンタジェル城と向き合いました。アーサー王がエクスカリバーを投げ入れさせた、という伝説がある、ムーアの中にある、ドズマリィ・プールという名前の湖にも行きました。『アーサー王の死』のイラストを描いたビアズレーが、エクスカリバーが投げ入れられるシーンを描くモデルとして使ったという、ウェールズにある湖も見に行きました。
 そして、書くぞ書くぞ、と自分を追い詰めたにもかかわらず、その時には、どうしても書けませんでした。どうして書けなかったのか、自分でもよくわかりません。とにかく、書けなかったのです。想いが強すぎて、その想いはわたしの中で空回りしました。
 そうして書けないでいるうちに、状況はどんどん変わっていきます。
 わたしの中で、書けない、という想いはますます強くなり。そして、三年ほど前に、一度、まったく筆が進まなくなる、という事態に陥りました。一年ほど本が出来なかったその頃、わたしは完全なスランプに陥っていました。
 もしかしたら、わたしはもう何も書けないのかも、と思ったし、それならそれでいい、と思った時期もあります。いつのまにか、わたしの著作は、九十冊を越えていました。十分に書いたのではないか、とも思ったのです。書けなくなった理由はいろいろとありますが、ここではそのことについては語りますまい。

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